夫婦とは2017年05月04日 14時59分

ひょんなことから久々に同級生に会うことが出来ました。高校卒業以来四十数年ぶりの再会でした。当然ながら会話は今までの経緯と近況に及ぶことになる。そんな中話を進めていくと、級友はパートナーと十年前に死別したが、子供がいないので将来が不安だという。 では、再婚でもしたらと投げかけると、確かに将来不安ではあるが、そういう気分にはなれないという。何故かと尋ねると、意外な答えが返って来た。死別したパートナーとはうまくいっていたし、死別という意に反した別れでもあったので、多分今後も生前のパートナーとの良き思い出は永遠に忘れることはないだろう、という。 もし再婚をしてみたところで、当然夫婦喧嘩もすることがあるだろう。その時に多分以前のパートナーと再婚相手とのことを比較してしまうことになるだろう。その時に再婚相手を傷つけてしまう言葉を発しないでいるとは限らない。そんなことまで先を読む級友に、私も良い意味で唖然とした。 そうだよな、生前離婚のように嫌で別れたのではないものな。彼は自分のことだけではなく、自分以外の人の気持ちまでを考えている冷静な人間なんだなと、簡単に再婚を勧めた私は、自分の考えを反省した。 多分生前離婚の場合は、夫婦仲が上手く機能しなかった結果であって、再婚を考えるすべもあろうが、死別はそうとは限らない。 その昔はいくら夫婦仲が悪くても、離婚という選択肢は歓迎されない風潮であったが、現代ではその風潮がほぼ消えかかっていることも確かだ。 夫婦とは何か?お互い全く違った環境で育って来た者同士が、ある日からひとつの環境下で共同生活を送ることになること。そこでストレスが生まれ、そのストレスはお互いの努力で中和できれば良いが、それが出来ないとなると離婚という選択肢が生まれるのであろう。 そしてその危機を生まないためには、お互いがお互いに相手のことを思いやることに尽きることかなと思う。でも、感情というものは、そう簡単に抑えられるものでもない。 今日は久しぶりに再会した級友から、人生を学ぶことになったようだ。

5月の香り2017年04月30日 12時58分

今日で4月も終わり、明日からは5月だ。私は5月が一番過ごしやすい時季だと感じる。日本にはメリハリのある四季があり、夏は暑く冬は寒いという、その土地土地なりの気温があり、春秋は夏と冬の気温の変化の緩衝の季節となっている。 季節が規則正しく変化することで、その季節なりの空気感を感じ取ることが出来るが、それを今では昔の話と感じるようになった。現代では季節に似合わない気象現象があったり、気温の変動が逆行することもある。それは異常気象と言われているが、その異常が今後は普通の事のようになってしまうのではないかと、私は危惧してしまう。 これらは地球温暖化のせいなのか、はたまた地球規模のただの営みの一環なのか。温暖化のせいにするなら原因を取り除かないと、これからますます世界の地域で気候変動が進むことになり、人々の生活に悪影響を及ぼすことになるのだろう。 人生を長く生きていると、インフラは便利になって良かったと感じるが、生活環境は、必ずしも良い面だけではないと感じる今日この頃です。 5月の声を前にして、昔のようなこの時季の空気感を、今は強く感じないような気がする。季節の空気感は人それぞれだろうが、こんなつぶやきをするのは私だけなのだろうか。 そんなネガティブな気持ちでいても仕方がないので、明日からはポジティブな気持ちで、5月を迎えようと思います・・・。 5月の香りはどんな香りかな。

年賀状2016年01月03日 12時48分

 今年も数少ない年賀状が届いた。歳を重ねるごとにその枚数は年々減っていく。電子メールの普及で年賀状という紙ベースでの挨拶は減っているのか?若い世代はそうなのかも知れないが、昭和の年齢層にはまだ馴染みのものなのかも知れない。

 文章で気持ちを伝えるのは難しものだ。時として自分の気持ちが相手に真逆に伝わったりもする。文面を相手がどのように捉えるのかを考えることも大切なのかなと思う。ということは、相手の性格を知ることや今置かれている先方の環境や心境を考えないといけないのだろう。ジョークのつもりが嫌味に捉えられたりすることもあろう。口は禍の元は文章でも同じことが言えるのだろう。

 年賀状は一年間現実にお世話になった人に送るものだろうが、反面何年もご無沙汰している相手にも継続してやり取りしている人も少なくはないだろう。

 今は手書きの年賀状を作る人は、これまた数が少ないのかなと思う。そして、みな一律の文章をプリンターで作る印刷派だと思うが。しかしながら、何年もご無沙汰している相手に、一律の「昨年中は色々お世話になりました」の定型文は如何なものか?

 私も印刷派ではあるが、ひとつひとつその人なりの状況に合うように文章を少しずつ変えるように心がけている。そして、印刷文の空白に近況を手書きで書き添えている。かといって全部を手書きにするほど筆まめではない。正直決まり文句の年賀状は、誰しもじっくりとは読まないでしょうね。自分もそうであるから、あえて印象深い文面を送るようにしている。そんな近況を書き添えた文章で、長年年賀状だけでの繋がりで疎遠になっていた人と、電話で話すことになったりしたこともある。

 反面、いつもそっけない文面や3ヶ日を過ぎてから送って来る相手に、迷惑なのかも知れないと気遣い、差出を止めてみたら、今回は元旦に届いたり・・・・。こんな賀状のやり取りを経験している人もいるのかなと思います。どこで切るか、相手の心境を察するのは実に難しいようです。でも一年に一度しかない年賀状も、全く無意味ではないのかも知れませんね。

 電子メールの時代でも、アナログの手紙は永久に絶えることはないのでしょうね。

冬ひとり旅 完結編2015年12月27日 17時25分

 今日は旅の3日目の最終日だ。目覚めると宿の周りは濃霧で覆われていた。昨日の金鱗湖を思い浮かべたが、おそらくそこへ行っても何も見えないと思うくらいの濃霧だ。そんな訳で幻想的な風景は宿で味わうことにした。今日は列車にて大分経由で杵築に向かい、杵築城下の町並みを観光する予定である。
 8時台の列車に乗ろうと早めのチエックアウトをして、霧に煙る由布院市内を駅へと向かう。駅に着くと早朝のせいか観光客はさほどいない。かといって通勤通学客もそう多くはなく、のどかな早朝の駅風景だった。

 由布院から大分まで行き、乗り継ぎをして杵築駅に着くが、駅は予想外に閑散としていた。それもそのはずこの駅は市街地から少し離れたところにあり、杵築市街地へはバスで向かうことになるのだ。バスの運行時刻も到着列車の時刻とリンクされており、列車の到着時刻からバスの発車時刻までは少しの余裕もないくらいであった。そんなことで列車を降り慌ただしくバスに乗り換えたが、いざ乗ってみると乗客は数えるほどだ。オフシーズンだからだろうか。やがてバスは数十分で市街地にあるバスターミナルに着いた。

 バスを降り早速観光案内所に立ち寄り、パンフレットをもらいながら色々と説明を受ける。杵築は城下町であり海が見える高台に再建された杵築城があるといい、城からは市内は勿論のこと、天気の良い日には四国までが見渡せるという。モデルコースは60分や120分の散策コースなどがあり、時間が許すなら半日くらいかければ全てを満喫できるという。
 しかしながら坂道が多いので、足腰に不安のある方には少し難儀なコースになるかも知れない。そしてレンタルの和服姿で散策すると、公共施設の入場が無料になったり、お店での割引サービスが受けられるとのこと。その和服のレンタルは着付け込みで2,000円と低価格でもあり、女性ばかりではなく男性にも人気を集めているという。などなど案内所のおばちゃんの親切な説明を受け案内所を出る。

 今日は旅も最終日なので、大分空港からのフライトの時間を考えると、そうゆっくり散策というわけにはいかないのである。まずは城へと向かうことにした。お濠の橋を渡り階段を上り少し歩いて行くと、やがて門が見えてきた。門をくぐり更に奥へと進むと城に到達した。この城は近代的な造りで再建されたものではあるが、高台に建つ城はまさに戦国の雄姿だ。折角なので城内を見学することにした。天守へ上がり四方を見渡すが、今日は生憎の曇り空で視界も悪く、残念ながら四国を見渡すことは出来なかった。

 城を後に、今度は武家屋敷の散在する辺りを散策してみることにした。ここでは、古い門構えや土塀のある数々の武家屋敷や、酢屋の坂、勘定場の坂などの石畳の坂、そして味噌屋、お茶屋、和菓子屋、酒蔵などの古い町並みの風情を満喫することが出来た。

 そんな和の風情漂う小京都杵築で、思いがけなく洋食を頂くことになったのだ。昼食の食事処を物色して見つけた店は、「笑食」と書いて「わらべ」と仮名ふりがある店だった。おばんざいを笑って食べて下さいとのキャッチフレーズと、和風造りの店構えに和食の店とのイメージで入ってみた。

 しかし中に入ってみるとメニューは洋食系ばかり。せっかく和食の店かと思って入ったのにと、少し拍子抜けした感じだ。とはいうものの、外のメニューを良く見ていれば分かったはずだ。まったくの先入観で入ってしまったようだ。でもこれも旅の土産話にでもなろうかと、気持ちを切り替えて、ボリュームがありそうな「ソースチキン南蛮サンド」を注文してみることにした。

 やがて運ばれて来たものを見て驚いた。それは何とも食べずらい形のものだった。パンの形や大きさは良く見かけるファストフード店にあるものと同じであったが、重なりの高さが何とも、どこからどのようにして食べて良いのか、しばし思案してしまうほどであった。どうにかナイフとフォークを使い食べ始めてみると・・・なんと、それは私が今までに味わったことのない美味であり珍味でもあった。ソースの味は勿論のこと、あのボリューム感が今までに食べたファスト店のそれとは違う世界のものだった。私には、それほど印象深いものであった。

 満腹の腹を抱え店を出て再び歩き始めた。この城下は坂が多く、当然ながら下がれば上るの繰り返しが続く。これが丁度良い腹ごしないになったようだ。いくつかの武家屋敷を歩き廻ることで、満腹の腹もいつしか元に戻ったようである。そこで甘党である私は、武家屋敷の一角にある休み処で、今度こそは和の風情を味わおうと、抹茶と和菓子のセットを頂くことにした。そしてしばらく庭を眺めながら、旅の最後の風情を味わうことになった。

 和風スイーツで和の風情を味わっていると、そろそろ旅の終わりの時が迫って来たようだ。それではこの場を2泊3日の旅の締めくくりとし、フライト時刻の迫る大分空港へとバスで向かう。

 冬というオフシーズンの旅は、他のシーズンと違い目玉の観光行事も少なく、訪れる人もまばらで寂しい気もするが、ひとり旅好みには、割安料金という特典があるので、是非お勧めしたい旅かなと思います。


              ~END~

冬ひとり旅 その22015年12月26日 14時26分

 今日2日目は、JR博多駅から「ゆふいんの森1号」に乗車しての列車の旅となる。旅の朝はこれから1日の展開にわくわくするものだ。ホテルでの朝食を済ませ身支度をしていると、そのわくわく感が更に高揚して来た。今日は一日晴天の予報だ。列車の時刻を確認して早めのチエックアウトを済ませホテルを後にする。
 
 やがて博多駅4番ホームにモスグリーンの列車が入って来た。その姿は落ち着いた雰囲気で、乗る楽しみに増して外観をも楽しめそうだ。列車が止まると早速先頭車両には記念撮影の人たちが群がる。老若男女それぞれお決まりの、ピースサインとハイチーズのオンパレードだ。
 
 やがて発車時刻も迫り女性アテンダントが出迎える車内へと入る。車内は木目調の斬新なデザインで、ヨーロッパの鉄道を思わせる内装に思えた。観光列車での旅は初めての私にとっては、見るものすべてが新鮮に思えた。 間もなく発車の合図とともに、ゆふいんの森1号は一路由布院に向けて動き出した。やがて列車の速度も既定に達したところで、車内にインフォメーションが流れ始めた。お決まりの挨拶が始まり、これで終わるかと思ったが、これからが観光列車ならではの演出の始まりだった。車窓を流れる風景のインフォメーションは勿論のこと、途中滝の見えるところでは一時停止をし、撮影タイムを設けてくれる。更に乗客ひとりひとりに声を掛け、アテンダントの帽子を被っての記念撮影などのサービスもしてくれる。車内の装飾も物珍しいものばかりなので、席を離れてはビュッフェやデッキを廻ってみた。童心に戻ったような心持である。

 そんなことで2時間の列車の旅も、あっという間に過ぎようとしている。終点間際のインホメーションが車内に流れた時には、名残惜しさの方が先に立つほどになった。やがて、ゆふいんの森1号は終点の由布院駅にたどり着く。いつかまた乗ってみようかと、心でつぶやきながら列車を降りる。

 列車を降りた客たちは、ここでも列車を背景に記念撮影を始める。名残惜しさをかみしめて改札口へと向かう。そこでまた初めての光景に出会った。この駅には固定の出札口などはなく、ホームと駅舎とはバリアフリー状態であり、乗車券は駅員に手渡しということになる。実に開放的な感じに思えた。
 
 駅舎を出ると、真正面にそびえ立つ由布岳が出迎えてくれた。この由布岳の方向を目指し地図を見ながら歩くこと15分、自衛隊の駐屯地近くに予約してあった今宵の宿にたどり着く。早速煩わしい荷物を宿に預け、身軽な格好で金鱗湖へと向かうことにした。
 
 少し歩くと両側に様々なお店が軒を連ねる通りに入る。ここは温泉街という街並みではなく、さながら軽井沢銀座や原宿といった若者受けするような風情である。通りすがる人影も若者が多いと感じる。少なくともこの金鱗湖界隈は、他で良く見かける温泉街の風情ではなかった。

 地図を頼りに金鱗湖の水辺にたどり着く。湖と言うので広々とした風景をイメージしていたが、湖というより池と表現したくなるような意外にこじんまりとしたところだ。正直何の変哲もない湖というのが感想だ。とりあえず湖を一周してみることにした。

 湖畔の一周も、ぶらぶらしながら20分ほどで廻れたようである。実は何の変哲も無いと思われるこの湖の魅力は、早朝に発生する幻想的な霧の景色にあるようだ。水温の高い湖面に秋から冬にかけての早朝の冷え込みで、濃霧が発生するというメカニズムのようである。是非そんな光景に出くわしたいと思う。

 そろそろ昼に近い時刻となったので、混雑を避け早めに食事処を探すことにした。折角だからと雑誌や観光パンフレットに載っているお勧めの店を物色するが、目移りがしてなかなか決まらない。散々迷った挙句、デザート付きの鶏肉定食のある店に入ることにした。

 早めの食事を終え店の外に出ると、もう12時を回っていた。案の定店先には、メニューの書いてある看板とにらめっこをする人たちでいっぱいだ。早目の腹ごしらえをしておいて良かった。

 今度は土産でも物色しようかとぶらぶら歩き始める。最近の傾向なのか、それともこの温泉街特有なことなのか、昔の温泉土産のような日持ちする饅頭などの類より、あまり日持ちしない洋菓子系のスイーツが多いように感じた。若者相手のお店が多いのかなと率直に思う。

 そんな店先を出たり入ったりしながらぶらぶらしていると、昭和館という看板が目に止まった。ここは昭和時代の街並みや生活様式を再現した博物館のようである。更に2階には昭和前期に名作を残した山下清画伯の博物館もある。思いもよらぬ昭和の風情に巡り合い、早速その時代にタイムスリップすることにした。懐かしい昭和の風情をたっぷり味わい、そのまま外に出て平成の街並みに戻ってみると、とてつもない年月の重みを感じることが出来た。

 日没までには、まだ時間の余裕もあるが、早めに宿に戻り、由布院の温泉をたっぷりと満喫することにしようと思う。今日は若者の多い平成の街並みと、思いもよらぬ懐かしい昭和の街並みのふたつを一度に楽しむことが出来たようだ。それでは余韻が薄れないうちに宿へと戻り、温泉に浸かりながら旅気分を深めたいと思う。風呂上がりの夕食も楽しみだ。・・・・極楽極楽(*^^)v


                  ~次回に続く~

冬ひとり旅 その12015年12月25日 16時09分

 寒い冬のこの季節に九州へと空路で旅立った。どんな訳かと尋ねられれば、オフシーズンのこの時期の観光地は混雑もなく、宿にあっては空室を埋めるために豪華?な部屋を割安料金で提供してくれるからだ。
 
 羽田を離陸し雪を頂いた山々を眼下に眺めながら福岡へと向かう。天気も良く視界は良好であった。富士山を過ぎた辺りに見える空港らしきもの、きっと静岡空港だろう。海かなと思ったが周囲は陸地のようだ、あれは琵琶湖だな。などと、日本地図を脳裏に描きつつグーグルアースの世界を楽しんだ。何故か上から目線は実に気分のいいものだ。
 
 そんなことで時間を費やしていると、やがて機内には福岡空港に近づいたとのインフォメーションが流れる。そして眼下のジオラマも現実味を帯びる大きさになってくる。機はどんどん高度を下げて行く。ここ福岡空港は町中にあるため、リアルな街並みの光景を目の当たりにすることになる。高度が低くなるにつれ、今まで漠然と見えていた景色も、車や人の動きまでが、そして、家々に干してある洗濯物までもがハッキリと見えてくる。

 やがて大きなショックを感じる。車輪が大地に着いた瞬間である。この瞬間に故か肩の力が抜けるような感覚を覚える。大地に足が付いていないという無意識な緊張感から解放されたのであろうか。そして、私にとっては初めての福岡の光景でもあり、わくわく感と戸惑い感が交錯し始める。機は誘導路をしばらく走り無事エプロンへとたどり着く。ほぼ定刻通りだ。そして、ロビーで手荷物の受け取りのためベルトコンベアーの前で待つことになる。

 しばらくしてベルトが廻り始める。手荷物の特徴を頭に描きながら待つが、私の手荷物はいっこうに出て来ない。羽田では早めに預けたはずなのに何故?。ここで同じような過去の経験を思い起こしてみた。すると自分なりに推測が出来た。手荷物は早いうちに預けると奥の方に荷積みされ、取り出す時には最後に荷積みさたものから取り出すといった仕組みなのであろう。次回は時間の許す限りギリギリの時間に預けてみることにしよう。結局思った通り最終グループの荷物となったようだった。やっと受け取ることが出来た手荷物の旅行ケースを、ガラガラと転がしながら地下鉄のホームへと降りて行く。

 地下鉄は7分ほどで目的地の博多駅に着いた。そこにはオフシーズンなど関係のない賑やかな駅の光景が目に飛び込んで来た。今日の宿は駅から徒歩1分のはず。あたりを見廻すと今宵の宿の看板が目に止まった。今の時間は午後4時、日射しの短いこの季節でもあり観光には中途半端な時間でもあった。とりあえずチエックインしてひと休みすることにした。

 部屋は大通りが見渡せる5階のシングルルームだ。上着を脱ぎしばらくベットに横たわっていると、窓の外も薄暗くなりネオンの光が目立つようになって来た。この宿は朝食のみの予約なので、今宵は外食ということになる。博多へ来たなら屋台に寄ってみようとフロントでもらった観光案内の地図で屋台のある場所を探す。天神か中州か迷ったが、やはりここから近い方が良いかと中州に決める。

 そうこうしてホテルを出ると、外の様子は先ほどとは打って変わり、博多はネオンの町へと変貌していた。中州へは地下鉄で行くことにした。ふたつ目の中州川端で降りればいいらしい。

 数分で中州川端駅に着いた。早速持参して来た地図を見ながら歩き出す。しばらく川伝いに歩いたが、それらしきところが見当たらない。やむなく道行く人に尋ねてみた。福岡弁混じりの口調で親切に教えてもらうことができ、まもなく屋台らしき灯りの列が見えるところにたどり着いた。

 当然ながらここの屋台は初めてなので、何を食べようか料金はどんなだろうか、呼び込みの声を尻目に数台の屋台の前を通り過ぎる。どの屋台も看板にはラーメン、焼き鳥、おでんの類があり、どこも同じかなと思えてしまう。結局最初に入ろうと思ったところに立ち止っていると、店員から「いらっしゃい」の声が掛る。その声に覚悟を決め、風よけのビニールをまくり中に入り椅子に腰かける。隣の椅子との間隔はかなり狭い。多分満席の時には肩と肩が触れ合ってしまうだろう。だが先客もいないので今のところそんな心配はない。とりあえずビールを注文し、メニューに目をやる。しばらく考え、おでんを5品ほど注文した。

 しばらくすると、ひとりふたりと客足が増えて来た。しかし、客はおひとり様ばかりで、ラーメンといった食事系を注文するだけだ。何故かアルコール類を注文する客はいない。何故だろう?そんな思いを巡らせて飲んでいると、ボチボチ客も集まって来た。込み合わないうちにと、追加に熱燗と焼き鳥を注文した。

 やがて熱燗が効いたのか体がホカホカして気分が高揚して来た。最近めっきり酒に弱くなった私は、ここで終わりにしなと迷子になってしまうと自分に言い聞かせ、早々に切り上げて宿に戻ることにした。酒豪であった以前の私なら、この先の展開はどうになったであろうか。気付いたらホテルのベットだった。ならいいが、訳のわからない場所に・・・・・想像するだけで武者震いがする。しかしながら、今はそんな勢いはない。

 まずは中州で屋台に寄ったという土産話が出来た。明日は予約の列車で由布院に向かう予定である。そこでゆっくりと温泉三昧としゃれてみよう。

                  ~次回に続く~

記憶2015年12月21日 16時38分

久々の投稿になります。「安心して下さい・・・・まだ生きてますよ。」
どこかで聞いたようなフレーズですね。

今年も残り少なくなって来ました。毎年この時期のTV番組は、一年の出来事や過去の出来事を掘り起こす番組が多くなります。
それを見て、つくづく自分の年月の記憶は当てにならないことに気付きます。いや、ほとんどの人がそうでしょうね。

そんなことに気付いてからの私は、今日まで何十年と日記を書いて来ました。以前は一年1冊単位の市販の日記帳に手書きをしていました。当然ながら毎年冊数が増えていきます。保管する場所が心配になると同時に、将来はどうしょうかと考えることがありました。丁度その頃庶民の間にPCなるものが浸透して来たのです。それからというものPCに書き込むことによって保管場所の心配がなくなったわけです。勿論紙ベースには一切することなく、ある時不要になったら消去すれば、それでおしまいというわけです。

でも私の日記は単なる記録帳なのです。日常の出来事をメモ書き程度に記しているだけです。これならどなたでも長く続けられると思います。それだけでもこの日記が後々に重宝するのです。人の曖昧な記憶は、この記録帳によって確実なものになるわけです。

エクセルを使い自分なりに考えた様式を作っています。プライベートなことだけではなく、世の中の出来事もちょっぴりと加えています。
今年も日記を読み起こして、一年を振り返っているところです。

一年365日を掘り起こしてみると、メモ書き程度の文字も、とてつもない重さに感じます。まさに「塵も積もれば山となる」ですね。

記憶を確実にするためには、文字は勿論のこと写真も取り入れた日記が良いかも。

河童伝説2015年08月12日 11時40分

 7月のある日私は定山渓温泉を訪れた。温泉好きの私ではあるが、ここを訪れるのは初めてである。札幌からバスに揺られての旅であり、到着は午後になっていた。早速宿のチエックインを済ませ、温泉街を散策することにした。
 
 写真が趣味の私は愛用の一眼レフカメラを持参し、宿でもらった地図を頼りに被写体を探しながらしばらく歩いた。やがて眼下に渓谷が見えるところまで来た。上流方向に目をやると木々の間から赤い橋が見えた。その橋に向かい少し歩くと、右手にそれはそれは大きな河童大王が鎮座しているお堂があった。その大王の表情に何故か親しみを感じた私は、帰りにじっくり拝観させてもらうことにし、更に渓谷上の遊歩道を進む。そして赤い橋の袂にたどり着いた。それはそう古くはない小さな吊橋であった。
 
 さっそく橋から眼下の様子をカメラに収めることにした。渓谷の両岸は緑に覆われ水量は少なく流れは緩やかであった。秋にはまた違った趣になるのであろうと、その時の情景を想像しながらシャッターを切った。
 しばらくすると橋が揺れるのを感じた。ふと橋の袂に目をやると観光客と思しきひとりの人影が見えた。その人影は白地に紺色の横じまのTシャツにジーンズ姿の若い女性であった。他に誰もいない橋の上という狭い空間に見知らぬ男女が出くわすとなると、若い女性にしてみれば、自然と男性の私に対して少なからず警戒心を抱くであろう。私はそんな女性の心境を察し、カメラのファインダーに目をやりながら、女性の存在を無視してこの場をやり過ごそうとした。

 しばらくすると、その女性が私の後ろに近づくや、「いい写真が撮れましたか。」と言葉を掛けて来たのである。私はその時何故か無性に背筋がぞくぞくするのを覚えた。そして、おもむろに半身の姿勢で振り返り、「ええ、まあ・・・・」と答えた。やがて女性は携帯電話のカメラで、私と同じ被写体を撮り始めたのである。
 
 こうなるとかえって無言でいることが不自然な雰囲気になろうかと、「秋になると綺麗な紅葉写真が撮れそうですね。」と私も愛想言葉を発した。すると、その女性からまた言葉が返ってきた。「実は私も一眼レフカメラを持っているのですが、なかなか上手に撮れないので・・・。」と言いながら携帯電話をバックの中に入れ、ためらいがちに私と同じ一眼レフカメラを取り出した。
 
 「えっ、持っているのですか。」「カメラ女子ですね。」などと会話のやり取りが始まった。しばらくそんな写真談義を交わしていると、俄かに雲足が悪くなりポツポツと雨が落ちて来た。そうなると傘も持たないお互い、やむなく宿の方向へと引き返すこととなる。
 
 「では、・・・。」と言い残し、その女性は足早に去って行く。私もすかさず後を追うような形で小走りに走った。女性との距離は5メートルと離れていない。やがて雨脚はだんだんと強くなり、このままでは宿にたどり着くころにはびしょぬれになること必至。案の定女性は雨宿りの為か、かっぱ大王の鎮座するお堂の下へと退避したかに見えた。私も無我夢中で足元に目をやりながら、そのお堂の屋根の下までたどり着いた。
 ・・・・ところがなんと女性の姿は見えない。そして目を凝らしながらあたりを見廻していると、私の背筋が赤い橋の上で経験したものと同じ感覚を覚えた。そしてふと大王の方を振り返ると、鎮座する大王の肩から雨のしずくが流れ落ち、手のひらにはあの女性のTシャツと同じ柄のハンカチが置かれていた。
 彼女は一体何だったんだろう。・・・・河童の化身だったのか??・・・お粗末様でした。

腰痛の不思議2015年07月13日 13時27分

 昨日TVで頑固な慢性腰痛の新しいメカニズムが解明さたとの内容の番組を見たのです。私には見逃せない番組でした。というのも私は腰椎すべり症と脊柱管狭窄症が原因の手術をしたのですが、腰痛が未だに取れない身だからだ。
 
 勿論手術は治療の最終手段のはず。だから手術をするまでには色々な治療をしました。手術に至るまでには相当躊躇もしました。でも決断した時には最先端の手術の出来る名医を自分なりに選んだのでした。でも私の腰痛は結局消えることなく4年になろうとしています。しかしながら、私の選んだ名医の手術は物理的には成功しているものと信じています。でも術後続く私の腰痛には名医も最後はお手上げ状態のようでした。最終的には、精神的な要因が手伝った腰痛の可能性もあるというニアンスで、「あとは時間をかけてリハビリに励んでください。」と言う言葉で、この名医との治療は完結?をみざるを得ませんでした。

 今はわらをもつかむ思いで、慢性腰痛は骨盤のゆがみであるとのことから、その歪みを矯正すると腰痛から逃れられるという整骨師のエクササイズを毎日やっている状態なのです。

 それで昨日の番組では、カナダでの研究の成果が報じられたのでした。その内容とは、頑固で原因の分からない慢性の腰痛は、脳にある痛みを抑える機能の低下が原因だという驚きの内容でした。つまり頑固な慢性腰痛の原因が脳にあるということです。極端に言えば気持ちの問題だということです。痛いと思って体をかばうことが痛みを助長させるということのようです。
 当然ですが、痛みの原因が明らかなものについては、この精神的治療を当てはめるわけにはいかないでしょう。

 痛いと思う姿勢や動作を痛くないと脳に思い込ませれば、ということです。具体的に言えば、痛いと思って動かさないでいる部分、つまり、かばっている部分を、あえて動かすようにすること。事実痛くても、多少は我慢して痛くないのだと脳に思わせるという理屈のようですが、それこそ気持ちの持ちようというところでもある。極論すれば、自分に腰痛があるということ自体を忘れてしまうようにする。その国のTVコマーシャルでは、腰痛は痛がらずに、どんどん体を動かせば治るものなんだ、と宣伝しているようです。そのことからも腰痛人口は多くて、広く社会問題となっているようです。

 そんなことだったのかと考え、過去にさかのぼってあてはめてみれると、好きなことをしている時には、痛みを忘れている自分に気付いたのです。確かにまったく痛くないということではなく、我慢が出来る痛さになるのです。痛みはそんな精神的なものなのかも知れない。そこまで到達するには簡単ではないだろうけど、一度きっかけを作れれば後はうまくいくのかなと思います。今後はそのきっかけができるように色々と努力をしてみようかなと考えています。・・・・・・・(*^^)v

 原因不明の腰痛持ちさん、あなたのケースは?

梅雨の晴れ間2015年06月28日 09時32分

 どうなんだろう?今年の夏は・・・・猛暑Or冷夏

 なんだか最近の気候は気まぐれに思えます。地球の温暖化のせいなのだろうか、はたまた地球の営みの中の周期の一部分なのだろうか。
 その昔は季節にはメリハリがあって、夏はほどほどに暑く、冬はほどほどに寒い。そして自然災害もあったけど、今日のように思いがけないところで思いがけない規模の災害が多くあったとは、あまり記憶がない。四季が行儀よく訪れていた昔が懐かしい。季節のメリハリが薄れ、季節の香りも感じなくなったと思っているのは私だけなのだろうか。

 今日は久々の梅雨の晴れ間ですが、じめじめした感じはなく、今のところ空は青く大空のキャンパスを白い雲が絵模様を描いています。
 地上では小鳥のさえずりとキリギリスの鳴き声が心地よく耳に届いています。今日は真夏日に届きそうな予報です。昼のTVニュースは行楽地の様子と共に熱中症に気を付け、水分を多く摂るようにと呼びかけるのでしょう。

 果たして今年の夏はどんな夏なのかな。猛暑になれば暑さにまつわる事故が多発するし、冷夏になれば農作物が高騰し、夏物が売れなくて経済的な損失が騒がれる。いずれにしても、ほどほどの夏になって欲しいものですね。束の間の晴れ間を有効に使いましょう。